室町時代から現代に至るまで演じられている謡曲「隅田川」。
今でも伝統芸能から海外のオペラまで多くの人に鑑賞されています。
謡曲「隅田川」を作ったとされる人物。元雅は、能で有名な世阿弥元清の息子。
若くして亡くなりましたが、「盛久」「弱法師」(クセは世阿弥作)などの名演目を残しています。
「隅田川」は、春の隅田川を舞台に、子と母の愛情を描いた能で、
狂ものをシテとした狂女物の代表的傑作とされています。
この演目が作られ、隅田川芸能がはじまったのです。
歌舞伎、浄瑠璃などの舞台芸能から仮名草子までを内包する
江戸文芸の流れのなかで、謡曲「隅田川」の梅若伝説を題材にしたものを
「隅田川物」と呼びます。
内容は、謡曲本来の「狂乱もの」を離れて「お家もの」的な色が濃く、
江戸期の世相、人情を反映していると言われています。
18世紀初頭に演じられた歌舞伎「出世隅田川」に続く
近松門左衛門の浄瑠璃「雙生隅田川」によって一つの頂点に達しました。
能「隅田川」からは設定が変化し、
梅若丸と東門院の若松が兄弟に、忍ぶの惣太は人買いから忠心に、
さらに忍ぶの惣太がお家再興の金欲しさから
主家の子供を誤って殺してしまうという
因縁話が結びついた内容になっています。
近松門左衛門の「雙生隅田川」が、
江戸期の世相や人情を反映していると言われているのはこのためです。
元禄15(1702)年
初代市川団十郎作「出世隅田川」が中村座で初演されました。
その後、浄瑠璃の「雙生隅田川」の影響を受け、
人買いに殺された悲劇の稚児として描かれるようになり、
奈河七五三助作「隅田川続俤」や
河竹黙阿弥作「都鳥廓白浪」などの隅田川ものが描かれました。
大正8年(1919)年には東京・歌舞伎座で初演され、
二代目市川猿之助や二代目市川団四郎らによって演じられました。
上演された記録は多くの浮世絵からも知ることができます。
