歴史

宗 旨:天台宗
山 号:梅柳山
寺 名:木母寺(別名 梅若寺)
総本山:比叡山 延暦寺
本 尊:慈恵大師(別名 厄除け元三大師)


木母寺は、芸道上達の寺としても知られる千年の歴史を誇る由緒正しいお寺です。
境内にある梅若塚は謡曲「隅田川」によって知られている旧跡です。
当寺に現存する「梅若権現御縁起」には木母寺の由来である梅若寺の伝承が描かれています。


貞元元(976)年梅若丸亡くなる

忠円阿闍梨が梅若丸の墓石が築き、
柳の木を植えて供養しました。
翌年、墓石の側に念仏堂が建立されたことが
木母寺の始まりです。

1590(天正18)年 徳川家康から山号 梅柳山を与えられる。

江戸の時代、「梅若伝説」の観光の名所として賑わいをみせ、隅田川と言えば木母寺を指すほどでした。

1590(天正18)年 徳川家康から山号 梅柳山を与えられる。

前関白の近衛信尹が参拝した時、木母寺と改名されました。

明暦3(1657)年~約100年 隅田川御殿が存在する。

木母寺の境内に隅田川御殿なるものが存在し、
歴代の将軍や京からの訪れも頻繁にありました。
徳川家康から山号を与えられていることや、
朱印状が残っていることから江戸幕府と木母寺のつながりが深かったことが伺えます。

延宝7(1679)年 絵巻物「梅若権現御縁起」三巻が寄進される。

家綱の時代、上州高崎城主の安藤重治によって
絵巻物「梅若権現御縁起」三巻が寄進されました。

元禄15(1702)年 歌舞伎「出世隅田川」初上演

初代市川団十郎作「出世隅田川」が中村座で初演されました。

享保2(1717)年 お花見始まる

八代将軍徳川吉宗、隅田堤に桜樹100本を植えるように命じ、
お花見の名所ができあがりました。

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桜の浮世絵
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明治元(1868)年 木母寺廃寺となる

明治維新とともに幕府の保護を失い、寺の堂舎は取り除かれ、
跡地は梅若神社となりました。

明治21(1888)年 木母寺復興

僧の光円によって、梅若神社が旧に復して梅若堂となります。
このように再び仏寺とすることは
当時としては非常に困難な事業でした。

昭和20(1945)年 4月13日、米軍機の空襲を受ける

本堂などが焼失し、戦火を免れた唯一の仏堂である梅若堂も
このように再び仏寺とすることは
15日の再度の空爆により、損傷を受けました。

昭和51(1976)年 「梅若塚保存会」が結成

都市再開発法に基づく防災拠点建設事業の実施により、
現境内へ移転しました。
また「梅若塚保存会」が結成しました。
「梅若縁起」の研究は盛んに行われ、
また伝統芸能のゆかりの地として存在しています。

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