境内に鎮座する梅若塚は、謡曲「隅田川」によって能や歌舞伎で広く知られている旧跡です。
伝承『梅若物語』は、当寺に現存する絵巻物「梅若権現御縁起」によって描かれています。
この物語が、木母寺のはじまりです。
平安の中頃、京都の北白川に吉田少将惟房(これふさ)と
美濃国野上の長者の一人娘の花御前がという夫婦がおりました。
二人には子供がなく、日吉宮へお祈りに行きました。
すると、神託によって梅若丸という男の子を授かることができたのです。
梅若丸が5歳の時、父親の惟房が亡くなり、
梅若丸は7歳で比叡山の月林寺というお寺へ預けられました。
梅若丸は三塔第一の稚児と賞賛を受けるほど賢い子供でした。
その賢さが災いしたのか、比叡山では東門院の子若松と稚児くらべにあい、
東門院の法師達に襲われます。
旅の途中病にかかってしまった梅若丸は、
貞元元年の3月15日、隅田川の湖畔で
「尋ね来て 問はは応へよ都鳥 隅田川原の露と消へぬと」
との句を残し、12歳という若さで命を落としてしまいました。
そこに通りがかった天台宗の僧である
忠円阿闍梨(ちゅうえんあじゃり)は、
里人と墓を築き、柳を植え弔いました。
